道場の軒と庭樹

道場日記抄

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「作文打出の小づち」
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作文編 国語編 小論文編 閑 話

−2017年−

Aug.10<平和記念式典>
Aug. 3 <満員札止め>
Jun. 1 <「子ども110番」>
Apr.20 <新入生代表>
Mar.30<春休みから新学期へ>
Feb.27<『じゅん散歩』>
Jan.19<富士山>
Jan.1 <お年賀>

ー2016年ー
Dec.8<読解力>
Sept.15<垣根越し>
Aug.18<「読めば分かる」>
Jun.16<キーセンテンス>
May 19<せんべい鏡開き>
Apr.28<白の輝き>
Mar.24<道場のお兄ちゃんたち>
Feb. 25<読解の三要素>
Jan.21<終わりよければ……>
Jan.1<お年賀>

その1(’99〜’03年)の日記へ  その2(’04〜’09年)の日記へ

その3('10年〜'12年)の日記へ

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Aug.10 < 平和記念式典 >


 今月6日には広島市で、9日には長崎市で、今年も平和記念式典が行われた。両市とも力強い平和宣言を行った。宣言では、7月に国連で採択された「核兵器禁止条約」への日本政府の参加を促していた。その促しには怒りが込められていた。
 (「核兵器禁止条約」の採択に至る経緯については、こちら(「世事雑感」の「11.またも日本政府の『愚』」へ)。

 広島では松井市長が、「各国政府は、核兵器のない世界に向けた取り組みをさらに前進させなければならない」としたうえで、日本政府に対して、かなり柔らかな調子で、『核保有国と非保有国の橋渡しに本気で取り組んでほしい』と求めることにする」と述べる留めたが、
 長崎では田上市長が、国連で採択された「核兵器禁止条約」の交渉会議に参加しなかった日本政府の姿勢を「被爆地は到底理解できない」と厳しく非難し、条約を批准するよう迫った。

 この条約は、ヒバクシャ(HIBAKUSHA)が、国連の各国代表団を長年に渡って説得し、条約の採択にこぎつけたものであった。
 そのヒバクシャたちも記念式典に出席していた。安倍首相はその人たちにねぎらいの言葉をかけるわけではなく、総理大臣としての挨拶でも条約の採択に触れもしなかった。テレビを見ている人たちからは、「どの面下げて、あそこに座っているのか」という声が聞かれた。

 長崎では、式典の後の被爆者代表との会合では、「あなたはどこの国の総理大臣ですか」とまで言われたそうだ。
 猛暑日の続く日本列島の中で、首相はさぞや煉獄の中にいる思いだろうと推測されるが、「条約は、我が国のアプローチと異なるものであるから、署名、批准を行う考えはない」のだそうだ。

 何を言っても、「蛙の面に水」(かえるのつらにみず)のようだ。


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Aug. 3 < 満員札止め >

 7月30日、高校野球・西東京大会決勝戦が神宮球場で行われた。対戦校は早稲田実業と東海大菅生高校で、試合開始は午後1時である。
 早稲田実業には、当道場出身の選手が2人いる。道場ではこの2人のために、早稲田実業を応援する。

 夏期講習の最中であるが、この日はあらかじめ、授業は10時半までとしておいた。道場から神宮球場までは1時間ほどかかる。明け方からの雨も上がったため、11時に出発した。
 雨の心配はなさそうだが、問題は入れるかどうかである。

 東京都高校野球連盟は、準決勝、決勝戦の入場券を前売りで始めた。これは、早稲田実業の試合になると、球場の周りに長い行列ができるためである。昨秋の関東大会の東京都予選の決勝戦(早実対日大三)では1q余りの行列ができていた。
 今年の春の決勝戦(早実対日大三)では、当初予定していた神宮第二球場では収容人員が5,000人しかないということで、急遽、神宮球場でのナイターに切り替えたほどであった。
 これらは、清宮幸太郎人気のなせるところである。

 高校野球の予選で外野席を開放するのは異例のこととされるが、多摩地方で行われる予選でも、早稲田実業の試合となると、外野が解放される。観客は皆、口には出さねど、清宮くんのホームランを期待している。

 清宮くんはこの日までに、高校通算107本を打って高校記録に並んでいた。あと1本で新記録である。その期待もあるから、おそらく今日は超満員になるであろう。それを思えば、前売り券を買っておかなかったのは失策である。

 球場の最寄り駅に着いたのは12時であった。そこから球場までは歩いて15分ほどである。
 球場の50メートルほど手前に行った時に、放送が流れた。「本日の入場券は完売しました」。
 やむなく引き返してテレビ観戦となったが、早稲田実業は6対2で敗れた。清宮くんのホームランも出なかった。


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Jun. 1 < 「子ども110番」 >

 道場の庭の入り口には、「子ども110番の家」という、縦18センチ、横12センチの札がぶら下がっている。これは、市のPTAと教育委員会、警察署の連携によって、有志の家に設置されたものである。
 子どもが不審者に出会ったり、後をつけられたりした場合、跳びこんで助けを求められる仕組みになっている。

 20〜30年前は、「道を聞かれた子どもが、そこまで連れて行ってくれと言われた」とか、「道で出会った男の人が、いきなりズボンを下げた」とかいう話を耳にしたものだった。そんなことがきっかけで、札の作成になったようだ。

 市内を散歩していると、5〜10軒に1軒ぐらいの割合で、この札が目につく。これが大きな効果を生んでいると考えられる。この20年来、市内では性犯罪のニュースを聞かない。この種の事件は表面化しないため、定かなことは言えないが、街じゅうに、いわば暗黙の、監視の目が光っているのだ。その気(け)のある輩はうっかり手出しはできないであろう。

 道場でも、ぶら下げて20年余りになる。助けを求めてきた子はまだ一人もいないが、札はただぶら下げておけばいいというものではない。それなりの備えはしておかなくてはならない。
 もしも助けを求める子がいれば、いったん室内にかくまって教育委員会に連絡し、保護者に引き渡すまで預かっておく。

 こう書けば、ことは簡単だが、場合によってはすぐに警察に連絡しなければならないケースもあるであろう。相手次第で不審者と対峙しなければならないことがあるかもしれない。それだけの覚悟は要るのだ。
 
 平穏無事に過ぎている日々であるが、最近の児童誘拐殺人事件によって、「知らない人についていってはいけない」が、「知った人でもついていってはいけない」にまでなっている。
 「子ども110番の家」も、覚悟に加え、何らか考え直さなければならないご時世であるようだ。

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Apr.20 < 新入生代表 >

 「桜前線北上の報に接すると、毎年のことながら、入学式の頃に満開になってほしいと念じます」と、「3月の手紙」(毎月下旬に通学生の家庭宛に出しているお知らせ)に書いた。 「入学式には桜の花がよく似合う」であろうからだ。

 東京地方の開花宣言は3月21日であったから、「ちょっと早い」と思ったが、幸いにもそのあとすぐに真冬並みの寒さが4〜5日続いたために、開花は足踏みしたようで、満開の時期は4月の上旬になった。入学式には、文字どおり花が添えられた。

 そんな華やかな時期に、喜ばしい出来事が一つあった。
 話は少しさかのぼるが、先月30日、あるお母さんから、次のようなメールが寄せられた。

 「ご報告なのですが、息子のRが入学式で、新入生代表の挨拶をすることになりました。入学説明会で声を掛けられたので、理由を聞くと、『受検の作文も見させてもらってますし』と言われました」。

 Rくんは、理科に興味をもっていたので、その方面の作文はてきぱきと書いていたが、その他の、いわば文学方面の作文ではギクシャクするところがあった。そのため、書き方のパターンが落ち着いたのは間際であったが、メールから判断すれば、本番ではうまくいったのだろう。

 挨拶では入学後の抱負を述べたようだ。ステージに登って、校長先生に向かって抱負を読み上げているところが写されている。
 Rくんはおとなしい性格であるが、大役を果たして、大いなる自信がついたことだろう。

〔付記〕
 その1週間後、お母さんから次のメールが届いた。
 「実は今日、受検の得点開示を行ってきたのですが、適性検査Tが100点満点中、95点でした」。
 
 「適性検査T」は「読解・作文」である。代表に選ばれるのもむべなるかな、である。


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Mar.30 < 春休みから新学期へ >

 道場は、ただいま春期講習で、新学期の準備を並行させている。
 講習と言っても、一斉授業ではない。個別学習である。生徒諸君の希望は様々で、例えば、英語では現在完了と受動態だけであったり、不定詞だけであったりする。数学では文章題に集中するというのは珍しくないが、変わったところではもっぱら証明問題に取り組む生徒もいる。

 いわば一単元に集中するのは、春休みという期間の制約による。短い期間に総合問題のようなものに手を広げることはできない。しかし逆に、効率よく一分野を克服できるという利点がある。

 国語では読解が中心になる。一般的なテキストを用意するが、それはウォーミングアップであって、中心は記述問題である。「この際、……」というわけで、文法の整理にかかる生徒もいる。
 道場の性格上、どの生徒にも作文が課される。宿題の読書感想文に呻吟する生徒もいる。

 ちなみに、講習時間は、1コマ80〜90分の、7〜8コマである。1コマの定員は3名。
 受講は任意であるが、全12日間の、午前中の24コマは(不思議なことに)延べ72名で、ちょうどふさがる。部活をする生徒は夕方に来る。

 桜前線の北上の知らせに乗って、新学期の準備を進める。
 受験生、特に公立中高一貫校を希望する諸君には年間プログラムを用意する。といっても、基本パターンはできているから、今年度の問題を何月の何週に入れるか、その程度の改定で済む。

 もう一つのプログラムは、小・中学生用の「作文と国語 演習プログラム」である。要約には教科書の文章を用いるから、教科書別を考慮しなければならない。それに加えて、「段落分け」の指示もしなければならないから、その作業にも追われている。


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Feb.27 < 『じゅん散歩』 >

 3月3日(金)午前9時55分、テレビ朝日の『じゅん散歩』で、高田純次さんが作文道場に訪ねて見える。
 
 ※ 見逃した場合は、You Tube で見ることができる。「じゅん散歩2017」で「恋ヶ窪」が現れ、2番目の訪問が「作文道場」となる。


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Jan.19 < 富士山 >

 「これぞ、富士!」という1枚をお目にかけよう。

 その前に、道場で今、受験生に繰り返し与えている注意について記しておこう。
 例年のことながら、次の一言を念押ししている。
 「始めよければ半分よし、終わりよければ全てよし」

 その詳細については、5年前に書いた記事がある。微に入り細に渡って念入りに書かれている。
 現在は、「作文打出の小づち」の「小論文編」に「首尾」という題で収められている。こちらへ


 さて、「ちょっと自慢!」といってもよいほどの傑作は、こちら↓。


 1月12日(木)、午前8時ごろ、富士急行「ふじさん」駅の駅ビル屋上の展望台から。


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Jan.1 '17 < お年賀 >


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ー2016年ー
Dec.8<読解力>   Sept.15<垣根越し>
Aug.18<「読めば分かる」>   Jun.16<キーセンテンス>
May 19<せんべい鏡開き>   Apr.28<白の輝き>
Mar.24<道場のお兄ちゃんたち>   Feb. 25<読解の三要素>
Jan.21<終わりよければ……>   Jan.1<お年賀>



Dec.8 '16 < 読解力 >

 いささか旧聞に属するが、2か月ほど前の新聞に次のような記事が載っていた。「ほおっ」感心する一方で、「おや?」と首をかしげざるを得ない面もある。以下に抄出する。
          ……………………………………………………
 学力の基礎となる読解力の向上を目指し、国立情報学研究所が新たな研究所を設立する準備を始めた。
 そのきっかけは、同研究所が人工知能(Artificial Intelligence−AI)開発プロジェクトを実施するに当たって行った中高生対象のテストで、文章の内容を正確に理解できない生徒が多かったことだ。テストを受けた公立中学生340人の半数近くが内容を読み取れていなかった。さらに2割は主語が分からないなど、基礎的な理解もできていなかった。
 同プロジェクト代表の新井紀子教授は、「人間がAIと違うのは高度な読解力があること。読解力は、将来AIやロボットと仕事を分け合う可能性のある子供たちにとって、何より大切だ」と考え、読解力の向上を目指し、産学連携機関「教育のための科学研究所」を、2年後をめどに発足させる準備を進めている。
 新井教授らの研究には、文部科学省や中央教育審議会も注目している。
                                       (「朝日新聞;2016年10月8日)
          ……………………………………………………
 新井教授たちは、理系関係の仕事をしていたために、生徒の実情が分かっていなかったのだろう。恐らく子どもたちの読解力の無さに驚いたと思われる。しかし、驚いているばかりでは自分たちのAIプロジェクトは進まない。そこで、すぐにも読解力向上のための研究所を発足させたのであろう。これは称賛に価する。
 これに対し、文部科学省や中央教育審議会の「……注目している」という態度は不可解である。子どもたちに読解力が欠けていることは分かっていたはずだ。「今さら何を……」と非難されても致し方あるまい。机の上にペットボトルのお茶を並べて、いったい何をしていたのか。
 中教審が新井教授らの研究を引き、ようやく新しい学習指導要領に向けて、「文章で表された情報を的確に理解し、自分の考えの形成に生かしていけるようにすることは喫緊の課題」と言っているようだが、文科省も教育審議会も「自分で考える力」のないことを暴露しているようなものである。

 ついでながら、喫緊の課題をどう実施に移し、課題の解決に努めるのか。恐らくペットボトルを並べている面々には解決力はあるまい。
 それに対し、読解力をつける方法は、民間・私塾ではとうに見つけ、実行しているのである(公立校では、積極的に取り組んでいるところは少ないようだ)。
 その方法は、……、またの機会に譲ろう。


追記:折しも、これを書いている10月6日、OECD(経済開発協力機構)が3年ごとに行うPISA(国際学力調査)の結果が公表された。
 それによると、日本の子どもたちは科学では2位、数学は5位であるが、読解力は8位であるという。


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Sept.'16 < 垣根越し >

 金木犀の香る季節になった。散歩をしていると(自転車で気ままに徘徊することもあるが)、けっこういろんな収穫もある。
 今日は、垣根越しに聞こえてきた話をいくつか収録しておこう。

1.お昼前、老夫婦が買い物に出かけようとするところらしかった。
 「ねぇ、カギをかけてくれた?」
 「ん? すぐ帰るんだから、だいじょうぶだ」
 「でも、この頃は空き巣が多いということだから、心配よ」
 「だいじょうぶだ。取られるようなものは何にもないし」
 「…………」
 「却って泥棒が気の毒がって、千円ぐらい置いていってくれるかもしれない」

2.夕方、芝生の庭でバーべキュ―の準備をしている。当主の会社の同僚とおぼしき人4〜5人とその家族が肉や野菜を運んだり、テーブルと椅子を並べたりしている。
 子どもたちは待ちきれない様子で、コンロのそばに集まっていた。その中の一人が、
 「もう焼き始めてもいい? 父上」
 一瞬、同僚たちの表情が変わった。
 「ほぉ、お宅では『ちちうえ』と呼ばせているのですか」
 「格式が高いですね。そうすると、お母さんは『ははうえ』ですか」
 「『ママ』」

3.昼下がり、ご亭主が脚立に乗って、庭木の刈り込みをしている。
 「あら、きれいになったわねぇ」
 「まんざらでもないだろう、この腕前は」
 「定年になったら、シルバー事業団が雇ってくれるかもね」
 ご亭主はご機嫌で下り始める。ところが、自分の出来栄えに見とれていたせいか、一番下の一段を踏み外して、尻もちをついてしまった。
 ご亭主は座ったまま、何やらつぶやいていた。「過ちは安き所になりてつかまつることに候」と言ったかどうかは定かでない。
 ちなみに、これは『徒然草』の「高名の木登り」の一節である。


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Aug.18 '16 < 「読めば分かる」 >

 夏休みに入ると、この言葉を繰り返すことが多くなる。それは、新入生が増えるためである。
 入試問題では、中・高・大学入試のいずれにおいても同様であるが、文章は決して易しいとはいえない。
 特に小学生は、今まで見たこともないような、見慣れない文章に出くわす。

 例えば、公立の中高一貫校では、「文章A」「文章B」の2つの文章があって、1〜2の内容吟味の設問の後、「〇〇について、文章A、文章Bの要点をふまえて、あなたの考えを400〜450字で書きなさい」というような課題が出される。ここに言う「要点」は、「筆者の考え」となることもあるが、要するに「要旨」である。

 その要旨を、最初はなかなかうまく捉えられない。そのため、課題の作文にも手がつかない。(作文は体験をもとに書けばよいのだが、要旨に関連する体験が思い浮かばないのである)。

 そこで、入試問題への取り組みを始めるに当たっては、最初からめげることのないよう、「始めは壁にぶち当たったような気がするかもしれない」と言っておく。その上で、「これは山登りのようなものだ。ふもとから頂上を眺めた時は、あんな高い所に登れるのかな、と思うだろうけれど、一歩一歩登っているうちに、いつの間にか頂上に着いているようなものだ」と話し、「最初は2〜3時間かかってもよいから、分かるまで読んでみよう」と念押しをする。

 (「2〜3時間かかってもよい」ということに対して、いつぞやも書いたことであるが、「入試では制限時間が45分だから、45分で書く練習をさせたい」という親御さんがいる。これに対しては「時間内に書けても、中味が粗末であれば、得点にならない。大事なのは中味である」と、釘を刺しておくことも少なからずある。練習を続けていれば、だんだん時間は縮まり、本番では時間内に書けるようになるのだが、結果をみなければ、この話は分からないようだ)。

 こうして練習していても、なかなか正解にたどり着けない生徒がいる。そういう生徒はたいてい「読みが上すべりしている」か、「話の筋がつかめていない」のである。そこで、「辞書を引いてもいいよ」とアドバイスする。(これに対して、「試験場では辞書は使えない」という半畳も入るのだが、今は練習中なのだ)。
 辞書を引くことによって語彙(ボキャブラリー)を増やすこと。それが、見慣れない文章になじんでゆく方法でもあるのだ。
 
 「読書百遍、義自ずから通ず」(100回読めば、意味は自然に分かってくる)という故事も引きながら、「読めば分かる」と、生徒諸君を練習に駆り立てる日々となっている。

 なお、要点・要旨・要約について、苦労しているのは小学生ばかりではない。中・高生の場合も同様である。「読めば分かる」。分かるまで読むことを助言する。
 要約に際してカギとなるのは、文字どおりキーワード、キーセンテンスであるが、これは下記に譲ろう。

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Jun.16 < キーセンテンス >

 去年の7月16日付で「要約の作業」について書き記したが、その作業の目的は、最終的には要旨をつかむことにある。手順としてその前段階の作業が「段落の要点」のまとめである。
 段落の要点を列挙して、通読すれば要旨が分かる(見つけやすい)という寸法である。

 先述の「要約の作業」で行っていたのは、主に「段落の要点のまとめ」であるが、これには少し補足を要する。ハッちゃんが案じていたのは、もしかすると、全体(段落の全体)を一息にまとめようとしていたからかもしれない。

 そうであるならば、大事なのはその段落の中心となる文(キーセンテンス)はどれであるかを判断すること(見つけること)である。そうすれば、あとはその文の理由・根拠となることなどを付けていけばよいのである。
 こう書けば簡単そうに見えるだろうが、実際、中心を決めれば、作業は案外簡単に進むのである。

 そこで、作業に当たっては「まず、キーセンテンスを探せ!」となる。

 ついでながら、高校入試、大学入試の長文読解では、キーセンテンスに傍線を引きながら読み進めればよい。その際、決して線を引きすぎてはならないことは言うまでもない。


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May 19 < せんべい鏡開き >

 ゴールデンウィーク明けに、「せんべい(煎餅))の鏡開き(かがみびらき)」を行った。

 鏡開きというのは、ふつうは正月の松の内が明けた後、10日ごろに、神前に供えた鏡餅や家内の要所に供えてあった餅をお雑煮やお汁粉に入れて食べる風習を指すが、道場では3か月ほど教室に飾ってあった大判の煎餅をみんなで分かち合っていただいた。

 そもそもは、マコさんが2月に高校合格のお礼にといって、地元・前橋の名物を持ってきてくれたことに始まる。縦35センチ、横25センチほどもある大判型の煎餅で、中央に「作文道場」という白い文字が入っている。クラスに煎餅屋さんの子がいたので、特別に作ってもらったのだそうだ。

 すぐに食べてしまってはもったいない。賞味期限は6月中旬となっている。そこで、しばらく教室に飾っておくことにした。「いつ食べるの?」という声には、「連休明け」と答えた。ゴールデンウィークが近づくと、関心は「どうやって割るの?」ということに移った。

 実行日は、マコさんとなじみの子の多い土曜日の10時半とした。
 すいか割りのように、目かくしをして木剣でたたくという案も出たが、粉々になってもいけないので、手刀を振るうことにした。選士は合気道の心得のあるヤッちゃんである。

 見事に筋が入って、いくつかに分かれた。その日に居合わせなかった生徒にも1かけらずつ行きわたった。
 ちなみに、味は「絶妙のしょうゆ味」であった。1かけらでも、じゅうぶんに味を堪能できた。

 なお、時期をたがえた「鏡開き」について、鏡餅も煎餅も同じ「餅」であるから、時期は違っても一向に差し支えない。
 この「鏡開き」を契機に、作文道場はますます発展するであろう。


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Apr.28 < 白の輝き >

 このところ、外に出ると目につくものに「白の輝き」がある。
 桜に代わって花水木が、こんなにもたくさんの花を付けることがあるのかと思わせるほどに、木の全体に爛漫と白い花を咲かせ、青空をバックに陽に輝いている。
 目を地上に転じると、植込みの中でひときわ輝くものに白ツツジがある。赤や緑は脇役となっている。

 山口誓子に『天よりも輝くものは蝶の羽』という句があるが、「蝶の羽」のところに「ハナミズキ」と入れ、「白ツツジ」と置き換えても情景は成り立つ。
 「白」というのはこんなにも美しいものかと、改めて感じさせられる。

 白の輝きを写真で補っておこう。ただし、爛漫の花水木は撮り損ねている。

ハナミズキ


ツツジ


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Mar.24 < 道場のお兄ちゃんたち >

 ミカちゃんとココちゃんが期せずして道場のお兄ちゃんたちのことについて書いた。
 二人の作文は既に「作文のこころ」で連載を始めているが、お兄ちゃんたちのことはここで紹介することにしよう。

 ミカちゃんが先月の末に「せきがえ」という作文を書いた。

 2月29日にせきがえがありました。すると、前好きだった人と、となりになりました。
 このごろはあまり好きではありませんでした。ふつうでした。この前いっしょにそうじしたとき、私のテンションがひくかったからです。でも、せきがとなりになったときに、すごくハイテンションになって、今は好きです。その男の子のいいところは、字がきれいで、かっこよくて、やさしくて、おもしろいところです。その男の子のおかげで、学校生活がもっと楽しくなりました。
 今、好きな人は、その男の子と、作文道場のお兄ちゃんたちだけです。あとは全員ふつうです。

 小3の女の子の心理も読み取ってほしいが、お兄ちゃんたちというのは、どんな人たちなのだろう。
 その半月後、小2のココちゃんが「ハッちゃんとヤッちゃん」という作文を書いた。

 わたしは作文をならっています。毎週土曜日に、作文に通っています。そこでいつも、ハッちゃんとヤッちゃんといっしょに勉強しています。ハッちゃんは小学5年生で、ヤッちゃんは中学1年生です。
 べんきょうしているあいだに、ハッちゃんがヤッちゃんのところに行って、かみの毛を1本ひっぱって、ぬこうとします。前に、作文の先生が
「かみの毛を3本ぬいたら、さるになっちゃうんだよ」
と言いました。そしたら、ハッちゃんは、ヤッちゃんをさるにしようと、ますますかみの毛をひっぱるようになりました。
 わたしは、二人になかよくしてほしいから、かみの毛をひっぱらないでほしいと思いますが、見ていてたのしいです。

 ハッちゃんは「きゃっきゃ」と言って挑んでいる。まるでサルのようだ。ヤッちゃんは防御に努めるばかりだが、二人は、帰りには連れだって教室を出て行く。仲良しなのだ。

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Feb. 25 < 読解の三要素 >

 この三要素は、結論から言えば、「漢字・語彙・要約」である。

 極端な例だが、国語の読解問題で、答えが見え見えと思われる場合でも間違える生徒がいる。なぜだろう。長年塾講師をしている友人の話では、「勝手に読んでいるんだ」ということである。「勝手に」とはいっても、「いい加減に」というわけではない。まともに読んでいて、間違うのだ。

 なぜ、こういうことが起こるのか。それは「言葉の意味が分からないから」だが、初歩的には、「漢字が読めていないから」ということである。
 極端な例と書いたが、これは中学・高校に進むにつれ、多かれ少なかれ たいていの生徒にあることなのだ。

 そのため、ここは特に小学生の親御さんに聞いておいてほしいところであるが、小学校では、毎週10文字くらいずつ漢字のテストがある。それを順次マスターしていくことが望まれる。これによって、読解の基礎が養われる。漢字に親しみさえ覚えるようになって、苦手意識もなくなる。

 ところで、大事なのはここからである。漢字は他の漢字と結びついて熟語となり、意味の世界を広げる。そのため、漢字一字を覚えることに満足せず、その都度熟語をマスターしていく必要もある。これによって、語彙(ヴォキャブラリー)が増えて、言葉の世界が豊かになり、読解が進むことになる。

 「日本語は、何となく分かる」。これが読解の妨げになっていることは、高校生・大学生ならば、気づくところであろう。そのため、意味の分からない、あるいは、あいまいな言葉に出会ったら、その都度意味を確かめる必要がある。

 ついでに言えば、大事なことでありながら、なおざりにされがちなものに音読がある。
 近頃は、それを宿題にしている学校もあるようだが、内容が読み取れているかどうかは、声に出して読んでみれば分かることである。

 音読の効用については稿を改めたいが、これは小中学生に限られることではない。読解が苦手と思うならば、すらすら読めるかどうか、大学生も自ら試してみるがよい。

 それはともかく、漢字、語彙に続く、三つ目の要約については、下記の「要約の作業」('15 Jul .16)参照。

 国語の二本柱は「理解と表現」である。「理解」のためには「漢字・語彙・要約」の3つが要素として必須なのであるが、要約の半分は、読み取ったことを書き表すことである。そこから「表現」への的確な道も開けるといってよい。


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Jan.21 < 終わりよければ…… >

 お年賀に「始めよけれな半分よし、……」と書いた。その続きは「終わりよければ全てよし」となる。
 いつごろ、誰が言ったのか定かでないが、けだし名言である。

(ネットで調べると、「始めよければ終わりよし」などいうようなものばかりが出てくるので、ネットで調べるのはやめておこう)。

 名言である所以は、小論文の構成に見事に当てはまり、生徒諸君には論理構成のバロメーターになることである。ここでは、小論文を例にその模様を紹介しよう。

 入試問題では、たいてい文章か統計が出て、考えを書くことになる。そこで、文章の場合は要旨を、統計の場合は読み取れる特徴(目立つところ)を第1段落に書く。
 第2段落では、それに関連する体験や見聞をもとに、問題点を検討する。
 検討の結果導かれることがらを結論(ないし考え)として第3段落に書く。

 この第1〜3段落の内容は順に、序論(はじめ)、本論(なか)、結論(おわり)という論文の基本構成に当てはまる。

 ここで、「始めよければ……」について考えてみると、これは採点者(試験官)の心理とも関連するが、序論の要旨なり特徴なりが的確に捉えられていれば、「よし!」となり、半分できたも同然となる。
 本論では事例が要旨や特徴に関連したものでなければならないが、検討が多少もたもたしても、採点者の心は全体に向かっているから、あまり気にしなくてもよい。そこで、肝腎なのは結論となる。締めくくりが「ピシッ」と決まれば、もう一度「よし!」となり、Aランクに位置づけられると期待できる。

 こう書けば話は簡単だが、実際には序論からしてうまくいかない。結論には最後まで苦労する。
 この試練を乗り越えて、受験生諸君は試験会場に向かう。明22日から東京都の私立高校の推薦入試が始まる。


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Jan.1 < お年賀 >



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ー2015年ー
Nov.5<おばけ(その2)>  Oct.8 <おばけ>
Jul.16 <要約の作業>  Jun.25<6月の手紙>
Apr.30 <反響>  Apr.2 <隠れた才能>
Feb.26<制限字数>  Feb.5 <制限時間>
Jan.1 <お年賀>



Nov.5 < おばけ(その2) >

 道場のおばけは、昼間は窓外のモミの木の股で眠っていて、暗くならないと活動を始めない。仮に起きて枝先に来たとしても、昼間は透明だから姿は見えない。

 それではつまらない、というわけで、Yくん(中1)は、障子を開ければ目の前に顔が現れるような仕掛けを作った。と言っても、手の込んだことはできない。取りあえず、がらくた入れの中からお面を取り出して、竹の枝の付け根につるした。「5レンジャー」か何かのキャラクターのお面である。赤い顔に目が白い。

 おもちゃのお面だが、障子を開けて、そんなものに出くわせば、誰でも一瞬ドキッとする。「ウォッ」と声を上げる男の子もいれば、ウータン(小5)のようにゲラゲラ笑いだす女の子もいる。
 そんな中で、トッくん(小4)は開けたとたんに「ワッ」と叫んで、部屋の隅まで逃げた。

 後日、その話を聞いたSくん(小6)は、「3メートルは逃げたのかな」と言った。すると、トッくんは「そんなに逃げないよ。ちょっと後ろに下がっただけだよ」と言った。「2メートルぐらいだったかな」と、ウータン。そして、「どっちにしても、逃げたことには変わりないじゃん」と言った。

 そこから、Sくんの提唱によって、「2メートル3メートル」という言葉が生まれた。新しい慣用句にしてもよさそうだ。
 おばけは、インテリジェントな副産物をもたらしてくれた。


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Oct.8 < おばけ >

 夕方の6時になって、タッちゃん(5年生)はファイルも筆入れもバッグにしまったが、帰ろうとしない。自転車で来ているから、「暗くなる前に帰ったほうがいいよ」と言うと、「おばけが見たい」と言う。
 その日は水曜日だった。ふだんタッちゃんは土曜日の午前中に来ているのだが、4日前は運動会だったから、振り替えでこの日の4時半から来ているのだった。「暗くなると、おばけが姿を見せる」といううわさを耳にしていたらしい。

 話は4年前にさかのぼるが、おばけの出る位置を確かめておいたほうがよかろう。
 道場の教室は、6畳の2間である。通路の庭から入った部屋が板の間で、テーブルを囲んで定員3人の教室となっている。その奥に畳の部屋があって、ここは居残りの生徒や早く来た生徒の予備の部屋となっている。2つの部屋は南西向きで、窓の外は隣家の庭になっており、奥の部屋の机の前にはモミの木の枝が張り出してきている。おばけが出る時はその枝の上に姿を現すのである。

 4年前の晩秋のころ、たまたま4年生のヤアくん、ユウくん、ヨウくんの3人がいた。そのうちのヤアくんが突然「あっ、おばけ」と言った。みんなは色めき立ったが、テレビ(そのころはまだブラウン管型のものを使っていた)の上に載せた地球儀が窓ガラスに映っているだけだった。
 それがおばけに見えたのなら、ひとこと言ってみたくなる。

 「あれはテレビの影だが、おばけがそのあたりに出ることもある。今は多分奥の部屋から見えるモミの木の中にいるかもしれない」。
 奥の部屋では、中2のカイくんが窓のそばの机で自習をしていた。カイくんには今の話が聞こえていただろうから、「カイくん、おばけが枝の上に出てきてる?」と言うと、カイくんは心得たもので、「ああ、来ている、来ている」と言い、「こっちを見ている」とまで言った。

 そうなると、3人は一斉に立ち上がって奥の部屋に向かう。しかし、敷居の所で止まったまま、中に入ろうとしない。背中を押すと、座り込んでしまう。そして、ユウくんは「明るい時に来て、見てみる」と言う。そこで、「明るいうちはモミの木の中で眠っているらしい。暗くならないと出てこないんだ」。

 それが伝説となって、今に至っている。昼間はみんなのぞきたがるが、暗くなると窓ガラスの内側からしか見ようとしない。
 タッちゃんは勇気を出して、窓から首を出して、枝先から枝の付け根まで見ていたが、見つけられなかったようだ。「そうか、今日は起きてすぐ、どこかへ出かけたのかもしれないね」。

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Jul.16 < 要約の作業 >

 ハッちゃんは目を宙に漂わせ、何やらつぶやいている。彼は5年生。説明文の第3段落を読んで、要点のまとめにかかっている。
 「え〜っと、何だっけなあ」と言って、教科書を開いた。ああ、『1300年前』だ」と言って、本を閉じ、再び目を宙に漂わせた。そして、「よし」と言って、原稿用紙に向かった書き始めた。

 要約の原則は、「本文を見ながらまとめようとしてはならない」ことである。それでは丸写しになりかねず、要約にはならない。何より頭が働いていない。要約の作業はあたまの体操でもある。
 読んだことが頭に入っていなければ、もう一度本文を確かめてもよい。しかし、開きっぱなしではいけない。

 小説・物語では、段落は場面ごととなる。1段落・1場面についての字数は100字程度がよい。一読して要点が分かる長さと考えられる。あまり細かな字数制限は設けない。要するに、要点をつかんでいさえればよいのである。

 説明文・論説文の場合、段落の要点を抜き出した後は、それらを通読して、大段落の大意のまとめとなる(教科書では、たいてい4〜5段ごとに切れ目がある)。要点をつかんだ後は要旨の把握となるが、大意をつかみさえすれば、その文章を理解したことになる。

 この作業は、「作文と国語」、または「国語」を履修する生徒は、学年を問わず、高校生まで全員が行う。
 そのわけは、日本語で書かれているものは、だれでも「何となく分かる」。しかし、実際には「分かっていない」。その証拠に、「何と書いてあった ?」と聞かれても、たいていの人は「……」で答えられない。それが入試問題で、「筆者の考えを書きなさい」というふうな設問があると、とたんに四苦八苦となる。

 入試のついでに、先までの展望を開いておくと、例えば一橋大学の国語の問題では、大きな問題3題のうち、1題は約2500字の長文を200字に要約せよという問題になっている。また、例えば慶応大学法学部では、社会、英語のほかに「論述力」という課題があり、約2000字の文章を300字に要約したうえで、それについて考えを700字で論述するという問題もある。

 これらの入試問題については優れた問題、「良問」であると、識者の一致するところであるが、小学生の要約の作業も、これらの展望のもとにあると考えてよい。
 功利的に考えなくとも、これによるメリットは、頭の体操であるほか、漢字を覚えられる、言語に習熟する、文章の理解が速くなるなど、枚挙に暇がないのである。


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Jun.25 <6月の手紙>

 道場では毎月下旬、通学生の家庭宛にお知らせの手紙を出している。
 時候の挨拶、今後の日程、その時々の連絡事項、雑記(ホームページについての話など)といった程度の簡単なものであるが、WEBサイトには現れない道場の一面を紹介しよう。



今月は、自転車置き場にたまたま隣家の庭からアヤメが闖入してきたのが面白くて
写真に撮っておいたのだが、花の色がよく出ていないので、拡大写真を添えておこう。


 なお、文面では「ちょっと自慢!」のサイトにたどり着くのが大変だが、WEB上では簡単である。こちらへ。

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Apr.30 < 反響 >

 当ホームページのアクセス数が、先週来倍増している。
 考えられるのは、「株の売買ゲーム」の作文である。「賭博を勧める学校」と題して「世事雑感」のページに載せてある。
 こちらの「世事雑感」へ。

 「『株売買を教える学校』の記事を読みました。義務教育で何を教えたいのでしょうか。耳を疑います」というメールが寄せられている。
 教室でも、お母さん方はこの話を聞くと、一様に「まあ!」と驚きの声を上げる。

 どんな学校で、どの程度行われているのかは分からないが、問い合わせ先は次のようになっている。
 日本証券業協会−金融・証券教育支援センター/電話;03−3667−8029/Eメール;8_edu@wan.jsda.or.jp


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Apr.2 < 隠れた才能 >

 春期講習は、今日を入れてあと4日で終わる。
 春休みはどの生徒もどこかに出かけるのだが、先月21日からの約15日間、午前中の2コマ(9:00〜10:30、10:30〜12:00)は、それぞれほぼ3人ずつで収まった。
 ここにこれを記すのは他ではない。どのコマも希望が重なることなく収まったからである。いつぞやもこんなことがあったが、不思議と言えば、不思議である。

 「6畳一間、定員が3人なのに、ずいぶん多くの合格者が出ていますね」という声が聞かれる。合格者の一覧は、合格速報へ。
 実は、合格者の中には通信講座による生徒も含まれているのだが、教室では合格の報が入るたび、B4の紙に校名を書いて、本棚に掲示する。1枚に4〜5校をカラーマジックペンで色分けして書いていくのだが、今年は4枚では足りず、5枚目を隣りの棚に継ぎ足していくことになった。手書きの下手な字であるが、カラフルである。
 上記の声は、それを眺めての感想である。

 「この子にこんな才能があるとは思わなかった」。作文に書いたのを見て、初めて分かることがよくある。先月は、立て続けに2つの才能の発見となった。
 それぞれがどんな才能であるかは、実物を見て判断してもらうことにしよう。1つは直樹くん(小4)の「折り紙」で、これは既に「図工作文」のところに掲載している。
 もう一つは、公介くん(小5)の「なぞの足あと」である。これは2週間後の4月16日に「エトセトラ」に掲載の予定である。


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Feb.26 < 制限字数 >

 「蛇足で減点されるより、字数不足で減点されろ」
 これが、試験場に送り出すに際してのアドバイスである。
 そのわけは、…………、その前に、下記「制限時間」の項で書き漏らしたことを補足しておこう。

 これは、時間とは直接の関係のないことであるが、入試が近づくと気になるものにインフルエンザがある。
 そのため、「手洗いとうがい」の励行が喧伝されるが、もっと根本的なことが忘れられがちである。それは「健康な体」である。体が丈夫でありさえすれば、インフルエンザは撃退できる。そう判断する一つの目安は、インフルエンザにかかるのは高齢者に多いことである。病気は体の弱い人を攻撃するようだ。

 それが分かれば、対策は容易である。健康な体のもとは「栄養と睡眠」である。こんなことは当たり前すぎるのか、学校でもあまり話されないようだが、睡眠曲線を描きながら話すと、生徒たちは身を乗り出して聞き入る。
 「きみは朝、自分で目を覚ましているか」と聞くと、寝坊助と夜更かし組の姿勢が改まる。そうして、「肉と野菜」という栄養のバランスの話も素直に聞き入れる。

 話をもとに戻すと、受験生にとって、いざ試験となって気になるのは、時間のほかに、作文・小論文においては字数である。これをいかに克服するかが勝敗の分かれ目ともなる。
 「500字以上600字以内」などとあると、受験生は何とか500字を満たそうと必死になる。そうなると、話は繰り返しになるか、話の筋とは関係のないことを付け加えるかになる。

 そうならないために、ふだんから「筋書きづくり」をうるさく言っているのだが、もしもそうなったら、という話もしておかなければならない。それが冒頭のアドバイスとなる次第であるが、そのわけは、…………と書こうとしたところ、後ろからのぞき込んでいたAくんが「あのアドバイスは効きました。あれで受かったようなものです。そのわけを聞いて、安心して受けることができたように思います」と言う。

 彼は続けて、「この道場に来なかったら、落ち着いて作文に取り組めなかったと思います。だから、そのわけまで書かないほうがいいのではないですか」と言う。
 どうやら、「そのわけ」は企業秘密に属するもののようだ。
 Aくんのアドバイスを聞き入れて、今日の話はひとまずここまでとしよう。

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Feb.5 < 制限時間 >

 道場の入試戦線は、1月中旬から2月初旬を山場として、3月初旬まで断続する。
 合格の報は先月の中旬から、今日も続いている。「合格速報」はこちらへ。

 振り返れば、例年のことながら、受験生には間際までいろいろなアドバイスをする。
 その中で気がついたことを3つほど記しておこう。今回は奇しくも「−−時間」特集である。
 (「面接の極意」などについては、「作文打出の小づち」の各編へ)。

 制限時間;
 「まず、『筋書きづくり』をして、それから書き始めよう」。これは、ふだんの練習の時から言っていることである。試験となると、生徒たちは45分とか50分という制限時間がどうしても気になる。そこで、気ばかりが焦って、取りとめのないことを書いてしまうことになる。そこで、「最初の10分か15分は筋書きづくりに充てよう。そうすれば、800字程度なら30分もあれば書ける」と言い聞かせる。

 具体的には、「問題文や資料とにらめっこをして、『はじめ・なか・おわり』を決めるのだ」となる。「『始めよければ半分よし、終わりよければ全てよし』だ」。門出に当たっては、「始めと終わりをしっかり作るんだよ」と念押しする。

 余談だが、初めて来た生徒の中には「50分いっぱいで書けました」と自慢げに言う子がいる。ところが、内容は貧弱である。手持ちの材料が乏しいままに書いているせいもある。そこで、「最初はどんなに時間がかかってもよいから、納得のいくものに仕上げよう。食料自給率のことなら、とことん調べるとよい」と助言する。すると、「でも、試験では調べることができないではないですか」と言う親御さんがいる。今調べていることが本番での材料になるのだ、と言っても分からないようで、そういう親は例文を求めてネットサーフィンをすることになるようだ。

 休憩時間;
 「もっぱら深呼吸をしていよう」。大学入試、高校入試では単語帳やノートに見入っている姿を目にするが、単語の1つや2つを覚えたところで何ほどの力になるものではない。それよりも、脳を活性化するほうがよほど力になるであろう。近頃は思考力が試されていることでもある。
 そんな話をしていると、「この黒砂糖あめがいいんじゃない」と言う生徒がいた。「糖は脳の栄養でもあるし」というのだ。

 道場では授業の後に、世にも珍しい(都内でも、近隣市でもお目にかかれない)フルーツ味の絶品のあめ玉を2つずつ持ち帰らせているが、そのほかに黒砂糖あめも置いてある。(これも知る人ぞ知る店でしか入手できない)。噛まずになめていると、黒あめが溶けて、やがて黒砂糖に行き当たる。そのプロセスが絶妙、絶品である。
 「よし、それでは、休憩時間の数だけ、あめを持っていっていいことにしよう」と相なった。

 集合時間;
 これは余録である。
 入試要項を見ていると、合格発表のすぐ後に「合格者保護者会」という説明会のある学校がある。そこには、「その会に遅刻、欠席の場合は辞退したものとみなします」とある。
 今日はその学校の合格発表の日なのだ。午前0時現在、東京地方は大雪との予報である。どうか電車やバスが止まることのないようにと祈る。


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Jan.1 '15 < お年賀 >



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ー2014年ー

Oct.30<合格答案>  Oct.2 <御嶽山噴火>
Sept.4 <急秋>  Aug.7 <町の鳴き龍>
Jun.30 <まねサイト>  May 29<スクーリング>
Apr.24<プログラムと問題分析>  Mar..27<国語力>
Feb.20 <雪の朝・出発>  Feb.13 <雪の朝・合格>
Jan. 1 <お年賀>



Oct.30 < 合格答案 >

 受験生の答案のコメントに、「合格答案」という言葉を使うことがよくある。「理屈をこねないで、事実をもとに考えを書けば、合格答案になるよ」とか、「もう一息だ。文章を整えれば、Aランクの合格答案になる」等である。
 すると、「合格答案というのは、いったいどういうものなのですか」という質問が、時々寄せられる。たいていはお母さんからだ。受講を始めて間もない頃に多い。

 一応、次のように答える。「一概には言えない。80人が合格すれば、80通りの合格答案がある」。算数・数学とは違うのだ。答えは1つというわけではない。むしろ、多様なのだ。
 すると、「では、合格答案には決まった形はないのですか」と、質問が続く。基本の形はある。作文なら、二段構成。小論文なら三段論法で、これらは「書き方」として、このホームページで既に公開してある。しかし、質問者はこれらを見ていないフシがある。

 そこで、止むなく、合格答案に共通する点として、「話の筋が通っていて、考えに裏付けのあるもの」と補足する。あとは、具体的には添削答案を見てもらえばよいのである。
 たいていはこれで済むのだが、質問は続く。中には的外れのものもあるが、指導上の教訓になるものもあるので、いくつかを書き留めておく。

 「うちの子は時間内に書き終わらないのです」。それに対しては、「最初から時間内に書けるものではない。例えば小学生にとって、入試問題は見たこともないような形式であり文章なのだ」と答える。そこから、受講を始める生徒には次のようなアドバイスが生まれる。「最初はガーンと壁にぶち当たったような感じがするだろう。だが、答案練習というのは山登りのようなものだ。何時間かかってもよいから、とにかく書いてみよう。そうすれば、やがては頂上に着くように、何とか書けるようになるものだ」。

 これには、次のようなことも書き添える。「知らないことがあれば、辞書、事典を見てもよいし、インターネットで調べてもよい」。すると、「でも、本番では調べるわけにいかないではないですか」とくる。「今は本番ではない。不十分な答案を書き連ねるより、合格答案とはどういうものあるかを知るほうが肝腎だ。それによって、己の知識の不足を知れば、知識の取得を心がけるであろうし、何より本番では、合格答案を目差して、持てる知識の動員を図るようになるものだ」。

 それでも、「合格答案の書き方を教えてほしい」と言う。「だから、今練習をしているのではないか。始めたばかりだから、すぐに合格答案を書けるとは限らない。お子さんは発展途上にある」と答えても、満足できないようだ。そのようなお母さんは、この段階ではもはや聞く耳を持たなくなっている。自分の考える答えと合わないと納得しないのだ。
 そこで、そのようなお母さんは合格答案を探し求めて、いわばネット遍歴を始め、下記の『まねサイト』のようなところにはまり込むことになる。

 ここで注意しなければならないのは、多分に「紋切り型」の弊に陥りかねないことである。似たような答案が並んだ場合、学校側はどう判断するであろうか、いうことについては論を待つまでもない。
 では、紋切り型でない合格答案を書くにはどうすればよいか。それはここには書ききれない。答案を仲立ちにした、生徒とのやり取りによってしか言えないことであるからだ。


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Oct.2 < 御嶽山噴火 >

 噴火から2日後の朝、次の作文が届いた。北杜市(山梨)の楓さん(小6)からだ。


 9月27日に、長野県と岐阜県の県境にある御嶽山が噴火しました。
 私は山に登ることが好きで、夏休みにも燕岳に登ってきました。もし、燕岳の頂上でお弁当を食べている時に、燕岳が噴火したら、私はどうなっているだろうと考えると、とても恐ろしくなりました。そして、そういうことが御嶽山で起こったのだと考えると、いっそう恐ろしくなりました。
 地震や噴火などの自然災害はいつ起きるか分からないので、もう一度対策を確認しておくことが大切だと思います。家のどこに食料や非常持ち出し袋があるのか、どこに避難するのかなどを、家族で話し合って確認することが大切だと思います。
 自然災害は決して防げないものなので、災害が起きた時にできるだけ被害を少なくし、自然とうまく付き合っていきたいなと、今度の噴火を見て思いました。

 噴火の翌日は日曜日であったから、その日に書いたのであろう。短時日で書いたにしては、自身の体験になぞらえた恐ろしさと災害への備えの大切さがしっかり述べられている。内容、構成とも完璧といってよい。

 この作文は、道場の通学生にとって、題材の選び方のよい参考になり、また、大いなる刺激にもなった。
 一昨日の火曜日(30日)には、5年生の耀くんと6年生の孟くんの2人が、書くことがらについてともに思案していた。そんな時はすかさず「昨日のこと」を書くよう指示する。朝起きてから夜寝るまでのことを、メモふうに書いていくのである。そうすれば、平凡に思われる一日にも何か一つはトピックがあるものである。

 耀くんは、社会科の時間に食料自給率についてのテストがあったということから、「食料自給」について、孟くんは、6時間目に委員会があって委員長に選ばれたということから、「委員会委員長」について書くことになった。
 そのあとで「御嶽山噴火」の作文を読ませると、一人は「あっ」と声を上げ、もう一人は「う〜ん」とうなった。2人とも、これからはニュースをよく見るようになるだろう。


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Sept.4 '14 < 急秋 >

 今年の秋は突然訪れた。急なことだったので、「急秋」という感じであった。

 例年、立秋を過ぎても、なかなか涼しくはならない。むしろ、夏真っ盛りといった日が続く。それを江戸時代の大坂の俳人は次のように詠った。「そよりともせいで秋立つことかいの」(上島鬼貫)。
 しかし、秋は忍び寄っているのである。

 『徒然草』に、「春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず」(第155段)とあり、その後に、「春は春のうちに夏の気配を起こし、夏にはすでに秋の気配が通い始め、……」と続く。秋は猛暑の裏に潜んでいるのである。

 それは通常、次のように現れる。
 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行…古今和歌集)。景色を見ていても、はっきりとは分からないが、ふと通り過ぎる風の気配に思わずはっとさせられる、というのである。確かに、暑いさ中に一瞬、ひんやりした気配を感じることがある。

 われわれ日本人は、このような季節の微妙な変化を愛好してきた。
 近年では、甲子園で決勝戦が終わって選手たちが場内を一周するころ、赤トンボの舞っているのが見えることがある。熱戦の後だけに、それがいっそう爽やかさを感じさせ、その光景が秋の風物詩ともなっている。

 そのように潜行していた秋が突然姿を現したのだ。東京地方、あるいは、関東地方だけであったかもしれないが、8月30日のことだった。
 前日まで空は雲に覆われ、雨が断続して降って、じめじめと蒸し暑い日が続いていた。それが、30日になって空は晴れ渡り、涼しい風が吹き渡ったのだ。

 

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Aug.7 '14 < 町の鳴き龍 >

 「ガードの下にも鳴き龍がいるよ」 小6のFくんが教室へ入ってくるなり、誇らしげに言った。
 「鳴き龍」というのは、日光東照宮の本地堂(薬師堂)で聞かれる、あの音のことである。天井に描かれた龍の絵の下で拍子木を打つと、コロコロという音が聞こえる。

 この話のきっかけは、修学旅行(移動教室)の作文で、鳴き龍に触れたものがあったことによる。
 日光の三大名所といえば、東照宮、華厳の滝、戦場ヶ原であろう。そのうち、東照宮について書いた作文では、陽明門のほかに、三猿、眠り猫、それに、鳴き龍が登場する。

 作文を見ながら、「なぜ、あんな音がするのだろうね。天井にだれかがいて、木の鈴でも振っているのかなあ」と冗談も言いながら、「あの音は、団地のような建物のあるところで聞かれるかもしれない。4〜5階建ての建物の間で手を打つと、コロコロという音のすることがある」。
 すると、俄然興味を示したのがFくんである。

 Fくんの後についてガード下に行ってみた。手をたたくと、なるほど、かすかにコロコロと聞こえる。「もっと大きな音のする所を探してみよう」。
 Fくんは、「夏休みの自由研究にしようかなあ」と言う。本気のようだ。

 以来、1〜2時間のサイクリングをする時は、途中に団地があれば、必ず立ち寄って、データ集めに協力している。
 これらの実験例を活用して、Fくんが「鳴き龍の原理」を解き明かしてくれるのを楽しみにしている。

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Jun.30 '14 < まねサイト >

 「ご存知でしょうか? 先生の「作文道場」から問題を抜粋されています」
 先日、こんなメールが届いた。
 「公立中高一貫校作文・小論文講座」と称するサイトだそうで、URLも付いていた。

 覗いてみると、なるほど、そっくり利用されている。間違えたタイトルもそのまま引用されている。ゆっくり見ている暇はないが、この分では答案例も引用されているかもしれない。少し形を変えた答案が目につく。
 サイトの主は、東大卒とある。本業は別にあるようだ。

 たまたま訪ねてきた同業の友人にこの話をすると、「まあ、そういう人間もいるだろうな」ということであった。彼は理数系を得意としている。
 「だが、……」と、彼は続けた。「『塾は儲かる』という風評に惑わされて手を出しているのかもしれないな。本気で指導しようと思うなら、そもそも課題や問題文の吟味を自分でするはずだ」。

 友人は続ける。「警告を発しても抗議をしても、聞く耳を持たないだろうが、あまり気に留めることもなかろう。というのは、オリジナリティーのない者には指導力もないだろうからだ。だから、解答例もつまむのだろうが、それ以上の指導はできないだろう」。
 「例えば、作文の添削は、料理にも似ている。立派なレシピがあって、それを使っても、料理人によって味が違ってくるようなものだ」。
 
 「火加減一つで料理の出来が違ってくるのと同様、筆加減一つで作文の仕上がりが違ってこよう。ものまねサイトのことはほっといてもいいのではないか。今に評価が表れるだろうから。ただ、そこの子どもたちがかわいそうだな」。

 と、なると、やはり警告はしておこう。社会正義のため、子どもたちのために。 

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May 29 '14 < スクーリング >

 「なかなか家で集中できず、できたら今週末も伺いたいのですが、日曜日の空いている時間はありますか?」
 Mくんのお母さんからだ。新学期になって、時々こんなメールが入る。新6年生の、公立中高一貫校を目指す諸君に多い。それは、いきなりの入試問題で「大きな壁にぶち当たった」感じがして、問題によっては手が着かない状態に陥るためだ。

 受験生のプログラムには、当該受験校の過去問を毎月1題配してある。月4回のうち、ほかに他校の類題を1〜2題、作文を2〜1題課している。
 Mくんが受ける学校の課題文は、例えば「利休の美学」というふうな内容で、大学入試でも使えそうなレベルの文章だ。
 Mくんには、講座を始めるに当たって、「入試問題の文章は始めは難しく感じる。だから、2度、3度と、分かるまで読んでみよう。時間はどれだけかかってもよい。『読書百遍、義自ずから通ず』。昔の中国の言葉で、『どんな難しい書物でも百回読めば、意味は自然に分かってくる』という意味だ」と話しておいた

 道場には「月1回のスクーリングと添付メールによる通信添削講座」というコースがある。Mくんはこのコースで受講している。他に、「ファクスによる通信添削講座」などがある。
 これらの講座で、何か分からないことや質問があれば、たいていの生徒は電話をかけてくる。メールで質問してくる生徒もいるが、首都圏では、直接道場にやってきて作業をする受験生もいる。

 Mくんには、課題文の要点を段落ごとに書き出してもらおう、そうすれば、設問の「遠近法」には要点を拾い集めることによって答えられようと考えていた。ところが、書いてきた解答はほぼ題意に適っている。読解に慣れてきたようだ。思えば、練習を始めて3か月近くになる。若干の字句修正で済んだ。「よかった。合っていた」と、Mくんは胸をなで下ろし、これに気を良くして、もう一つの設問にさっさと取り組んだ。

 通信講座の生徒には、できるだけ丁寧に、具体的に、詳しく答えることにし、場合によってはファクスで図解もするが、道場に来て直接話をすれば、作業がはかどるほかに、安心感もあるようだ。


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Apr.24 '14 < プログラムと問題分析 >

 「はい、これがあなたのプログラムです」。
 2月から3月、4月にかけては、このような言葉とともに、新たな練習・演習が始まる。
 プログラムは、受験用の場合は希望校の問題(過去問)を中心に、類題(出題形式や内容の似ている他校の問題)を援用して作成する。(もちろん、作文も組み込んである。これは体験例のストックのためである)。

 類題を援用するのは、希望校の問題だけでは視野が限られるのと、これだけでは練習量が足りないためである。幅を広げ、ある程度の予想もしなければならない。例えば、読書や言葉の出題が続いていても、それがいつまでも続くとは限らない。現在の社会情勢からすれば、環境問題が出されることも想定しておかなければならない。

 そうかと言って、あれもこれも取り込んでいては、方向を見失いかねない。やはり中心は希望校の出題傾向である。これを類題によってふくらみのあるものにする。プログラム作りにおいて大切なのはこの点である。類題に良問を得ると、プログラムは充実する。
 そこで今春は、「暇なうちに」、全校の問題分析に取りかかることにし、まず、公立中高一貫校の問題に着手した。

 公立中高一貫校は全国に約100校あり、過去問は手元に9年分がある。分析の基準は問題文の種類と長さ、設問の形式、字数である。
 この基準で、1校ごとに9年分(後発・新設校の場合は3〜6年分)の分析表を作成していく。100校あると言っても、県立中の場合は2〜3校で共通というケースが多いから、実質は70校分である。作業は意外に早く進んで、4月半ばには70通りの一覧表が出来上がった。

 これさえあれば、鬼に金棒のようなものである。どの学校をうけるにしても、プログラムの中心がはっきりとし、類題を縦横に選べる。

 受験生には希望校の分析一覧表を見せて、「これをもとに、このプログラムができているんだよ」と話す。受験生は毎週順に過去問、類題、それに、作文に取り組んでいる。


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Mar..27 '14 < 国語力 >

 『ゾウの時間 ネズミの時間』(本川達雄著 中公新書)。この魅力ある著書を、Sくんは今週読み終えた。
 本書には題名からして魅力があり、実際、「生物界には車輪がない」とか、「島に隔離されたゾウは、……どんどん小形化していった」とかのくだりは、入試問題にもよく引用されている。

 Sくんは4月から高校生になる。1月末に推薦入試で合格した後、引き続き「国語力をつけたい」ということで、高校入学後も受講を継続することになった。入学後は主に教科書の文章を使って要約の練習をすることになっているが、教科書が手に入るまでの間、2か月もあるから何か1冊を読んでみようということになった。
 手元にあった『バカの壁』(養老孟司著)や『国家の品格』(藤原正彦著)、『本を読む本』(M.アドラー、外山滋比古訳)など5〜6冊の中から、Sくんは『ゾウの時間……』を選んだ。本書は14章あるから、1週(1回)に2章ずつ読んでいけば、春休みの頃には読了する計算である。

 1〜2日もあれば読めるものを、なぜ2か月近くもかけるのかと問う向きもあろうが、この読書法のねらいは、実はその点の批判ないし反省を原点としている。例えば、1〜2日で読んだ場合、「読んだ」とはいっても、「理解した」かどうかは怪しいものである。それは、「どんな話だった?」と聞いてみれば、すぐにわかることであるが、たいていの読書は「上滑り」なのである。

 なぜ「上滑り」になるかというと、日本語で書いてあるものは「何となく分かる」からである。それを正しい、あるいは、じゅうぶんな理解にもっていくためには、順を追って読み取っていく必要がある。書いてみて初めて「分かった!」となる。そこに要約の必要性が生じるわけであるが、具体的な手順としては、例えば説明・論説文の類いなら、「段落の要点」をつかんでいくことが基本となる。
 
 ついでながら、初心者には特にこの作業が望まれる。道場では、作文を主とする生徒にも、時どき教科書の文章を使ってこの作業を課すことがあるが、そうすると、要約力の程度が通知表の成績と相関関係にあることがわかる。このため、小中学生の親御さんには教科書の勉強を望む声もあり、新学期からは小中学生に「作文と国語・学習プログラム」を作ることにもなっている。閑話休題。
 
 話を『ゾウの時間……』に戻すと、1週に2章とはいっても、1章当たり平均16ページあるから、また、内容が多分に専門的であるから、読解が容易ではない。それでも、1章当たりの字数を200〜300字とした。これは、一度読んで理解できる長さでないと、内容を把握したとは言えないからである。進め方は1章を宿題とし、もう1章を教室で行うことにした。これなら、じっくり取り組めるし、点検もじゅうぶんに行うことができる。

 こうして、1冊を読了したわけであるが、ここで、「国語力」とはどういうものかを明らかにしておかなければならない。それは、せっかくくの読書を単に「読んだ」で終わらせないためである。
 「国語力」とは、「読解力・想像力・記述力」が三要素として挙げられる。その最も基礎を成すのが読解であり、要約である。

 近年では大学入試においても、公立中高一貫校においても、その三要素が問われる出題となっている。事実、オーソドックスな入試では長文や超長文が課されているため、まずは「読解」がきちんとできなければならない。

 なお、国語力は、間際では間に合わない。ここにおいても「ふだんが大事」と言えるが、要約の作業には「頭脳を鍛える」という効果もあり、教科全般の基礎ともなるのである。


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Feb.20 '14 < 雪の朝・出発 >

 1週間足らずのうちに東京地方(あるいは、太平洋岸)はまた大雪に見舞われた。予報では東京は10cmということであったが、郊外のこの辺りでは優に50cmを超えていた。道場では14日(金)、15日(土)の授業を止む無く休みにした。
 記録しておくべきは、中部・関東の各地で「陸の孤島」となった市町村が続出したこと、高速道路や幹線道路でトラックが3日間も立ち往生したことである。

 甲府では観測史上初めての1mを超す大雪との報だったので、どんな様子なのか、友人に電話をしてみると、「陸の孤島だ」というのが第一声だった。そこは石和温泉郷のすぐ隣の住宅街なのだが、周りには畑も多い。友人宅も100坪余りある。「車を出すには雪をどかさなければならないが、その雪を捨てに行かなければならない。川に捨てるのだが、そこまでの道も作らなければならない」。気の遠くなるような話だ。

 食糧については、「米はじゅうぶんあるのだが、問題は副食だろうね。あちこちから何か送ろうという電話があるのだが、この雪ではまず届かない」。鉄道も道路も全て遮断されているのだ。県全体が「陸の孤島」の観を呈している。

 甲府盆地でこの状態なら、八ヶ岳山麓ではどうなのだろう。北杜市の大泉にはTくん(小5)が住んでいる。作文を返しがてらに聞いてみると、お母さんから次のようなメールがあった。
 ………………………………………………………………
 こちらも陸の孤島です。 積雪は1m50cmはあったでしょうか。
 おととい、玄関から駐車場までの雪掘りで2メートルの雪壁ができました。圧巻な眺めで自己満足に浸ってしまいました(笑)。そして車を掘り出すまでになんと4時間。まだ家の前の車道は胸まで雪があり、除雪車も当分来てくれそうもありません。
 息子はプラスティックの橇を浮き輪に雪の中を泳ぎながら一番近くの友達の家まで遊びに行くという状態です。学校はもちろん休校で、子供たちと犬は大喜びで外で雪まみれで大はしゃぎです。
 食糧は一応非常時に備えてストックしてあるので、痩せることはないと思いますが(残念!)。
 ………………………………………………………………

 大雪になる前の日(木曜日)の夕方、隣市の府中からYさん(中2)がお母さんと訪ねて見えた。「都立高入試の200字の作文が書けるようになりたい」と言う。これは、入試問題の国語の読解問題の中にある。配点からすれば10%であるが、読解ができなければならない。そうすると、そこだけでも30%の労力を要する。よって、作文がきちんと書けるなら、国語力もつくであろう。
 これを核とし、各年度の入試問題を中心にプログラムを組むことになった。

 3月から7月までは、各月、入試問題1、作文2(標準課題1、身辺作文1)、読解問題1(類題、教科書の主要文の要約)とし、8月以降は、受験校が決まったら、身辺作文に代えて「進学指導重点校」の問題を入れることにした。文章の要約を入れるのは、国語力のみならず作文力の向上のためであるが、教科書の文章を使うのは定期試験対策のためでもある。

 入試の作文の分析は済んでいるので、また、ちょうど大雪で休講状態となったため、プログラム作りの作業ははかどった。15日には年間プログラムを届けることができた。
 すると、17日の朝、お母さんから、次のようなメールが届いた。
 ………………………………………………………………
 プログラムをありがとうございます。
 見識の高さとプログラムの素晴らしさに感銘を受けました。
 やはり専門家は違いますね。
 試験対策は大変助かります。
 ………………………………………………………………

 今月から3月にかけては、プログラム作りの時期でもある。
 東京学芸大学附属国際中等教育学校、長野県立諏訪清陵高校附属中学校、山梨・北杜市立甲陵中学校、東京都立立川国際中等教育学校のプログラム作りが控えている。
 プログラムを以って、生徒諸君は新たな出発となる。下記の「のび太くん」のように、1年間休まずがんばることを切に願う。


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Feb.13 '14 < 雪の朝・合格 >

 先週8日から9日にかけて、東京地方(あるいは関東地方)は大雪に見舞われた。天気予報のとおり、8日の未明から丸1日降り続いた。東京では27pで45年ぶりのことだという。都心でそのくらいなら、郊外のこの辺りでは30cmは悠に超していたことだろう。実際、夕方庭に物差しを突っ込んだら、25pはあった。

 そんなわけで、千葉で観測史上初の33pというニュースには驚かなかったが、仙台で76年ぶりに35cmを記録したというニュースには驚いた。仙台は東北にあるから、雪が多いだろうと思っていたからだ。一口に東北と言っても、奥羽山脈によって日本海側と太平洋側に分けられていることを改めて知らされた。

 8日(土)の朝は、降りしきる雪の中を9時に小5のMくん・小2のMちゃん兄妹がタクシーで、続いて中3のMさんがお父さんの運転で駆けつけ、10時半には小6のYちゃんが加わった。
 11時近くになってMちゃんが作文を書き上げた。それを待って兄妹が帰ろうとしたところ、雪の影響が深刻になってきた。

 タクシーを呼んだが、来た時の会社であったのに、運転手が足りなくて都合がつかないと言う。もう一つの会社はお話し中でなかなかつながらない。止む無く、駅まで歩いて1駅電車に乗って、また歩くか、ということにしたが、お兄ちゃんはそれなら歩いて帰るという。お母さんはタクシーがない時はそうするようにと言ったと言う。家までは直線距離にして3kmはある。幸い2人とも長靴をはいていたので、家とは連絡の取れないまま送り出す。

 40分ほどしてお母さんから「無事着いた」という電話があった。「私は福井育ちで、1mぐらいの雪の中を通学していたから、このくらいの雪は……」とおっしゃる。
 12時になって、Mさん、Yちゃんにお迎えがあって、激しくなった雪の中を帰って行った。雪はもう10cmほどになっていた。

 2台の車を見送って中へ入ろうとしたとき、雪かきの音がした。奥のほうの家のKじいさんがさっそく始めていたのだ。道場の前の道路は、そのおじいさんの家の前から通り道がつけられていく。そこでこちらも、と思ったが、この降りようではすぐに埋まってしまうだろう。「Kさん、この雪がやんだら、ぼくも始めますからね」と声をかけておいた。案の定、道路はほどなく真っ白に埋まってしまった。

 9日(日)は8時ごろにはもう雪かきの音が聞こえた。出てみると、左斜め前のHさんだ。既にKじいさんの家の前には公園への道が通じていた。Hさんといっしょに、向こう三軒両隣の間の雪をかいて道をつけた。

 部屋に戻って汗を拭いているところへ電話が入った。「合格しました}。Sくんからだ。Sくんは都立中高一貫校の中でも最難関と目される武蔵高校附属中を受けた。理科方面が得意だったから、いわゆる適性検査では得点できるだろう、問題は作文だった。
 当初から、課題文の要点(ポイント)はつかむのだが、なかなか文章にならない。それでも、正月を過ぎてから文章が分かりやすく整ってきた。お母さんには、「何とか間に合ったかな」と話していたのだが、間に合ったのだ。

 Sくんは「ドラえもん」に登場する「のび太」に表情が似ている。そのため、道場では「のび太くん」と呼ばれているのだが、のんびりしているように見えて、彼は1年間休まずに通った。思うに、その持続が間際に結実して、快挙となったのであろう。 


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Jan.1 '14 < お年賀 >



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−2013年−

Nov.28<千両の庭>  Nov.4 <広瀬の柿>
Oct. 7 <「抜かす」、「なので」>  Aug.29<猛暑と豪雨>
Jul.18 <安里有生くんの詩>
Jun.20 <たから探し>  May30<作文打出の小づち>
Apr.22<新学期の取り組み>  Mar.28<作文玉手箱>
Feb.28<演習プログラム>  Jan.31<The longest day>@AB
Jan.17<雪かき>  Jan. 1<お年賀>



Nov.28 '13 < 千両の庭 >

 「赤み差し千両庭の景となる」
 千両というのはお金のことではなく、常緑低木のことである。念のため。
 10月の初めごろであったか、鉢植えの五色の朝顔が最後の花を咲かせて以来、道場の庭には(といっても、5坪ほどの細長い庭なのだが)、緑のほかに色彩がなくなってしまった。

 4〜5年前までは、殺風景な庭をせめて花でも植えて生徒たちを迎えようと、パンジーやビオラ、ニチニチソーやマリーゴールドなど、ホームセンターで手軽に手に入るものを植えていたが、ある時ひょっこり水仙が咲き、やがてチューリップが咲いた。前の年に植えた花の球根が残っていたのだ。

 7月になると、ユリが、自慢したいほどに、色とりどりにあちこちに咲く。その間には、シャクナゲが咲く。これは木がそのままになっていたのだ。もともと植えてあったツツジやサツキは時期がくれば満開となり、キンモクセイは芳香を漂わす。
 こうして、いつしか花は自然に任せることになった。

 ところが、色彩がなくなると、寂しい。今ごろ咲く花を少し探して来ようかと思っている折、庭の一角がほんのり明るくなっている。日の差し加減かと気にも留めなかったのが、日がたつにつれて明るくなっていくように思われ、よく見ると、小粒の実の群れが赤く色づいてきているのだ。千両の実だ。

 千両の木は幅1メートル足らず、高さ50センチ余りで、庭の3か所にあることが分かった。今では実がすっかり赤くなって、庭を豊かな風景にしてくれている。

付記:
 千両の鉢を買った時、万両もいっしょに買ったから、庭のどこかに移し替えたはずだと思っていたところ、庭の隅に黄色い粒が現れ始めた。正月頃には色鮮やかになることだろう。
 そうなると、「千両に万両ありて明けの春」という句も生まれよう。

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Nov.4 '13 < 広瀬の柿 >

 先日、山梨の笛吹市在住の友人が柿を送ってくれた。きれいな段ボール箱に並べられている。ぶどうなどと同じように、本格的な商品の装いである。
 春先に中学の同級会で会った時、その友人は、ひょんなことから柿畑の世話を頼まれて、いつの間にか譲り受ける格好になったという話から、秋になったら送るよと言っていたのを思い出した。気軽に言ったのを気軽に聞いていたから、そんな立派な箱で届くとは、思ってもみないことであった。

 友人に礼の電話をする前に1個を試食した。切ってみると、中はいわゆるゴマである。スーパーで買ったのは切り口がのっぺりしていて、渋柿を切った時の面に似ている。それに比べると、いかにも甘そうである。昔懐かしい思いもしてかぶりつくと、皮に張りがありながら果肉はやわらかい。もちろん、じゅうぶんに甘い。

 友人にそのことを話すと、「実は、全国の柿の中でも非常に評判が良くて、皇室への献上品になっているほどだ」ということであった。そこで、品種は何かと聞くと、「『広瀬の柿』と言われている」ということであった。
 そういえば、同級会で「彼は55本の柿畑のオーナーになったそうだ」という話が出た時、「ああ、広瀬の柿ね。おいしいので有名なのよ。でも、めったに手に入らないの」と、だれかが言っていたのも思い出した。

 「広瀬」というのは、友人が住んでいる土地で、石和温泉郷に境を接している。
 めったに手に入らないということは、収穫量が少ないということであるが、友人によると、「同じ畑の木をほかの土地へ植えても、同じ味にはならない」ということであった。そうすると、味の決め手は土壌ということになるが、何とも貴重な柿を送ってくれたものだ。

付記:
 読者から、「広瀬の柿の品種は富有柿ではないか」という問い合わせがあった。そのとおりだった。(Nov.11)


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Oct. 7 '13 < 「抜かす」、「なので」 >

 台風18号、20号が去った後は、抜けるような青空が1週間ほど続いた。これは、「運動会日和」でもあった。「秋晴れの運動会をしているよ」(富安風生)。こんな光景が全国あちこちで見られたことだろう。

 運動会があると、作文は「運動会づくし」の観を呈する。
 書き方について、特に初めての生徒諸君には「最も感動したこと」、「思い出に残ること」など、どれか一つに焦点を合わせること、その際、焦点は運動会全体の中で絞り込むこと(「鳥観図」の中で合わせること)を勧める。
 具体的には、「スポーツ作文」の『15.十人タワー』、『14.中学年リレー』、『11.感動の四段タワー』、『10.クラス対抗リレー』等を参照。こちらへ。

 前置きが長くなったが、このところ、運動会の作文で目につくのは「抜かす」という言葉である。例えば、徒競走やリレーで、「第3コーナーでぬかしたが、ゴールの手前でぬかされた」といった具合である。
 ほとんどの生徒がそうであるから、もう一般化しているのかなと思うが、一応「追い越す」ことは「抜く」というのだと話して、次のような話をする。。

 「『抜かす』というのはね、『馬鹿なことを抜かす』とか、『順番を抜かす』というふうに使われている。辞書を引いてごらん。『抜かす』には『抜く』という意味はないね。辞書に載っていないということは、社会でまだ認められていないということなのだ」。
 だから、使ってはいけないとは言わないが、使わないほうがよい、と注意しておく。

 使わないほうがよいというのは、それは「話し言葉」だからである。現代語にも「話し言葉」と「書き言葉」があり、作文では(特に地の文では)「書き言葉」で書くことが求められている。そのわけは、格調ないし気品の問題でもある。

 話し言葉と言えば、よく使われているものに、「なので」がある。これも辞書には載っていないから、作文では使わないようにと注意しておく。ただし、これは「格調」の面からの勧告でもある。
 同様の勧告は、「ら抜き言葉」においても行う。例えば「見れる」、「食べれる」の類いである。

 とはいえ、例えば、かつては「書かれる」、「泳がれる」と言っていたものが「書ける」、「泳げる」となって、五段活用の動詞に限り可能動詞として公認されるようになった。この伝でいけば、活用の種類に関係なく、「見れる」も「食べれる」も、やがて公認されるであろう。
 そうなると、「なので」も「抜かす」も、作文においてのみならず、公的文書の上でも大手を振って歩くようになるかもしれない。ただし、それを使うか使わないかは「感性」の問題である。


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Aug.29 '13 < 猛暑と豪雨 >

 「これまで経験したことのない大雨となっています」、「直ちに命を守ろ行動をとってください」。
 先月来、集中豪雨(ゲリラ豪雨)が山陰の山口、島根、また、東北の岩手、秋田の市町村を襲ったとき、気象庁がこのような言葉で警戒を呼びかけた。まさに、「今までにない」表現である。ずいぶん砕けている。だが、分かりやすい。「直ちに」避難を始めるには至らなかった人が多かったということであるが。

 「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます」。
 これは、今年の長崎平和祈念式典での田上長崎市長の平和宣言の中の言葉で、今年4月、核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会での共同声明に、日本政府が署名しなかったことへの批判である。

 性質は異なるが、今月の言葉として、この2つを記録しておきたい。

 共同声明に署名しなかったことについては、憤懣やる方なさとともに不可解さを覚える。そこで、道場も被爆国の一端に連なる者として抗議の声を上げておいた。「世事雑感」−「世にも不思議な物語;日本政府の怪」へ。


 豪雨の反面、日本列島を覆っていた猛暑も収まる気配で、東京地方では4日前の日曜日からパタッと朝が涼しくなった。午前中はクーラーが要らないほどである。それでも日中は30度を超える暑さであるから、10時ごろから気温の上がるのが感じられる。。そこで、生徒たちに「暑いか」と聞いてみると、「平気」だと言う。むしろ、クーラーを敬遠気味である。
 かくして、このところは時折窓から入ってくる風に吹かれながらの、作文や読解の作業となっている。



Jul.18 '13< 安里有生くんの詩 >

 6月23日、沖縄戦の全戦没者を悼む「慰霊の日」の追悼式で、小学1年生の安里有生(あさとゆうき)くんの詩が、本人によって読み上げられた。全文がひらがな、カタカナで書かれている。まだ習ったばかりの文字なのだそうだ。有生くんは日本の西端の与那国島に住んでいる。
 詩の一部を引用してみよう。全文は33行あるから、これはその3分の1である。

 へいわってなにかな。
 ぼくは、かんがえたよ。
    (中略)
 やさしいこころがにじになる。
 へいわっていいね。へいわってうれしいね。
 みんなのこころから、
 へいわがうまれるんだね。
    (中略)
 ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
 このへいわが、ずっとつづいてほしい。
    (中略)
 へいわってすてきだね。
 これからも、ずっとへいわがつづくように
 ぼくは、ぼくのできることからがんばるよ。

 この種の作文では、たいていは「このへいわが、ずっとつづいてほしい」というところで終わるのだが、この詩では締めくくりが、「ぼくは、ぼくのできることからがんばるよ」となっている。平和への関与の姿勢が実に頼もしい。
 以上、「作文」という見地からの感慨である。


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Jun.20 '13 < たから探し >

 庭のユリが一本、今年もたくさんの蕾をつけて、2週ほど前から開き始めた。
 まだ蕾のころの今月1日、都内からスクーリングで来ていたSさん(中3)に、「何の蕾だろう」と聞いたところ、「分からない」と言う。「では、次に来るときには咲いているだろうから、楽しみにしているといい」と言っておいたのだが、2週間後の予定が月末に変更になった。そこで、お父さんのメールに写真を託したことだった。

 近くの郵便局の軒先ではツバメが卵を温めている。生まれた子ツバメたちが口を開けて、にぎやかにえさを待つのももうすぐだろう。そのころにはカッコーもやってきて、近所の神社の椎の木で鳴き始めるだろう。

 この日記抄からの抜粋のタイトルが「作文打出の小づち」と決まり、4つの分野を「作文編」「国語編」「小論文編」「閑話」とした。すると、思いのほか作業が進んで、4編の「もくじ」までできた。
 各編はオムニバス形式にする予定であるが、取りあえず「もくじ」を公開することにしよう。こちらへ.。


 各編とも、各項目には掲載年月日を付け、掲載年へのリンクも貼ってあるので、目当ての記事(項目)を探そうと思えば、リンクをたどって探すことができる。手前味噌ながら、いわば「たから探し」であるが、各年度とも十数項目であるから、探すのにさほどの困難はないであろう。

 バスは7月上旬に発車の見込みである。



May 30 '13 < 作文打出の小づち >

 昨日、関東地方も梅雨入りした模様と報じられた。例年より10日ほど早いという。これも温暖化のせいか。
 それはともかく、道場の庭のサツキが満開になった。例年、6月になってピンクの花をちらほらと付けていたのが、今年は両腕に抱えきれないほどの枝ぶりいっぱいに、びっしりと花を付けたのだ。しかも、花は薄い朱色に縁どられている。「まあ、きれい!」と、日菜さん(高2)がケータイを取り出して写真を撮っていた。

 窓辺の、隣家の庭では白い大輪のアジサイが開き始めている。枝を刈りこんでいたので、往時のように高くそびえるというほどにはならないが、それでもドッジボールほどの花をいくつも咲かせることだろう。
 道場の庭のアジサイは、入り口に1メートル半ほど、奥に1メートルぐらい葉を広げているが、蕾はまだ小さい。その代わりのように、教室の入り口ではキョウチクトウが白い五弁の花を4つ開いている。庭の真ん中ではユリが早や蕾を9つも付けている。これも早いようだが、去年のように庭を明るくしてくれるだろう。

 さて、このところの余暇の大仕事は、下記の「作文玉手箱」(Mar.28)で試みている、これまでの日記の総ざらいである。
 主な話を抜き出してみると、4つの分野に分ける必要がありそうだ。すなわち、「作文編」、「国語編」、「小論文編」、それに、「ちょっといい話」の4つである。
 
 これらを統括するタイトルは何がよいか。「玉手箱」では、「開けてびっくり……」で、煙が出るようでは具合が悪い。いいものが出てくるということでは、「打出の小槌」がよいか。タイトルはそんなところに落ち着きそうである。
 項目を整序して、特に「作文編」では補足もし、一書の体裁にしたいと思うので、連載を始められるのは夏になるだろうか。それとも、冬か。
 


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Apr.22 '13 < 新学期の取り組み >

 Hinaさん(高2)の「電力と再生可能エネルギー」の草稿が一段落した。800字詰めの用紙で15枚ある。去年の12月の初旬に始めたから、4か月かかったことになる。日菜さんの場合、このホームページにはいろいろな分野で登場しているが、引き続いて学校生活や旅行のことではテーマとして多少マンネリの感があった。そこで、時事性もあり、これからの社会の課題でもあるものをテーマに選んだ。

 草稿は基礎資料でもあるので、どこかで論文の募集でもあれば、再構成して応募してみようというところである。
 これはひとまず置いておいて、Hinaさんは次のテーマ「食糧自給」に取り組んでいる。自給率が近年低下している経緯を探ることから始めているが、これはおそらく「TPP]との関係で論じることになろう。

 時事性と言えば、Natsumiさん(高2)は理系の学部を目指して、去年の秋から本格的な取り組みを始めた。放射能や大気汚染、インフルエンザ等の時事問題を考えるに当たって、「時事用語」の理解から始めている。これは、Hinaさんの場合と同様、論述の基礎資料となるものである。
 その一端を紹介しよう。こちらへ。

 公立中高一貫校入試や高校推薦入試を目指す諸君は、既に「演習プログラム」によってスタートを切っている。プログラムがあれば、予定を立てやすく、確実に実行することによって充実感を味わうことができる。過去問(模擬問題)や類題のほか、4週に1回は作文が入っているので、身の回りを振り返り見回すことによって、足が地についた作業ともなる。

 作文を主とする小中学生諸君には少々の変化が起きている。常々、ある文章を読んだとき、「何と書いてあったか」と聞くなどして、文章の要約の大切さを話しているのだが、4月になって、教科書の文章でその練習をしてみたいという生徒が増えてきたのだ。(下記:Jul.7'12「文章の要約の効用」参照)。

 名古屋のKaz(中2)くんと、沖縄のEllenさん(中1)はこれに加えて国語の一般的なテキストに取り組んでいる。もちろん、プログラムを組んで、1冊分を12か月(36回)に配分している。Kazくんは文法にも意欲を燃やしているので、さらに1冊が加わっているが、Kazくんには去年1年の実績があるから、倍近い作業もこなしていくであろう。

 Dream comes true:今月はもう一つ、トピックを記しておかなければならない。
 早稲田実業がこの春甲子園に出場したことは、このページに2度ほど書いたことであるが、正直のところ、前年の夏の戦いぶりからして甲子園は「夢」と思われた。そこで、その夏、「道場と甲子園」(Aug.23 '12)で、期待を込めて「甲子園まんじゅうが待たれる」と書いたのだが、その夢が現実になったのだ。
 春休みが終わるころ、Dくん、Kくんが記念タオル、キーホルダー、少々の「土」とともに、「甲子園ボーイクッキー」をもってきてくれた。通学生みんなで1〜2枚ずつ味わっている。


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Mar.28 '13 < 作文玉手箱 >

 「まだ実の生っているのを切ってはだめだ」散歩の途中、ある家の庭から、そんな声が聞こえた。
 「だって、枝が伸びすぎているんですもの」老夫婦が言い争っている。地面に落ちているのはキンカンのようだ。
 「もうすぐ、実が熟れたら、小鳥が来て食べるだろ。それまで待ってやろう」

 ああ、いいことだ。それも「思いやり」の一つだ。とっさに「思いやり」という言葉が浮かんだ。それというのも、「思いやり」という題を出されて、Eさんが何を書こうか思案していたからだ。
 こういう題では、たいていの人は人への配慮を思い浮かべるであろうが、生きものに対する「思いやり」もあるのだ。そういえば、庭にエサ台を作っている人も少なくないようだ。
 「大空に高く残れり柿一つ」。これはカラスに対する思いやりなのだそうだ。

 この10年余り、こんな話を折に触れこの日記抄に書き記してきた。読み返してみると、けっこう書き方のヒントになりそうなことが書かれている。
 一応、日記は上に見るとおり保存してあるが、なかなか何年も前のところまでは訪ねてくれないだろう。そこで、役に立ちそうな話を抜き出して、ひとまとめにしようかと考えている。
 そうすると、タイトルは何がいいだろうか。いい話がいっぱい入っているからトレジャーボックス、それを日本語で言えば玉手箱か、あるいは、打ち出の小づちのようなものと考えればよいか。ただいま思案中である。


 箱といえば、このサイトを作成しているコンピュータが大きな箱になった。10年ぶりのリニューアルである。
 必要最小限のソフトで運営していたのだが、10年もたつと動きが遅くなる。かと思えば、メールが2,3通跳ぶなどする。そこで、拓生くんの卒業を待って、新しく組み立ててもらうことにした。拓生くんはこのホームページに「自作パソコン」で登場している。道場にとっては、最も信頼のできるアドバイザーである。

 春分の日にいっしょに秋葉原へ行って、部品を買い揃えた。もちろん、必要なものは拓生くんにリストアップしてもらった。この先、たくさんの作文や写真を入れても10年は持つよう、容量はなるべく大きくしてもらった。外箱も大きなものになった。ふつうのデスクトップパソコンに比べて、幅2倍、高さ1.5倍、奥行き1.5倍はある。これは、コンピュータは熱がこもりがちのため、ハードウェアが傷まないようにするためなのだそうだ。何でもコンパクトにすればいいというものでもないようだ。

 組み立ては2日ほどで終わり、23日から試運転を始め、現在に至っている。
 Windows 8やWord 13 が出たばかりで、これらをインストールしているため、これまでとはずいぶん勝手が違うが、メーカーに問い合わせ、拓生くんのアドバイスを受けながら、再びよちよち歩きを始めている。


 今日はもう一つ、特筆しておかなければならないことがある。センバツ高校野球で、早実のKくん、Dくんが活躍しているのだ。
 初戦の相手は、37回目出場の龍谷大平安で古豪対決と呼ばれた。早実は6回までノーヒットで、2点リードされていたが、7回の裏に四球、初ヒット、ヒット、ワイルドピッチ、ヒットで4点を挙げ、逆転した。

 特筆すべきはそのあとの8回、9回である。Kくんが3人ずつ、パーフェクトに抑えたのだ。
 Dくんは途中出場でレフトに入り、逆転の場面で真芯でとらえていい当たりを飛ばしたが、サードの正面を突いてしまった。得点には結びつかなかったが、プレーには走塁にも守備にも躍動感があって、チームの勢いを感じさせた。

 だが、3回戦で仙台育英に逆転負けを喫してしまった。
 残念だが、KくんもDくんも、チームメイトとともに、自信と教訓を得たことであろう。



Feb.28 '13 < 演習プログラム >

 2月に入ると、道場には時間のゆとりが生まれる。高校の推薦入試は1月下旬に終わり、公立中高一貫校の入試も2月の初めに終わって、残るは都立高校一般入試の対策が残るだけになるからだ。
 受験生が1人でもいる限りは、緊張を解くわけにはいかないが、それまで1人1人にかけていた時間の分が大きくぽっかりと空いてくる。

 興行界には「二八(にっぱち)」という言葉がある。2月と8月は客足が遠のくことから、不入りの意味で使われているが、道場においても(塾業界全般のことなのだが)、8月はともかく2月は同様である。しかし、これは道場にとっては貴重な時間となる。それまでの目まぐるしさから開放されるばかりでなく、次なる準備のゆとりが生まれるからだ。

 準備と言えば、通常はテキスト選びがあるが、最も大事なものにして、手間暇のかかるものにプログラム作りがある。これはこの時期に限られることではなく、新入生があるたびに作るのだが、希望校別に作るとなると、なるべく前もって類題選びなどをしておく必要がある。公立中高一貫校入試にせよ、高校推薦入試にせよ、年間プログラムとなると問題数はかなりの分量になる。

 一例を示すと、――と、ここで相の手が入る。「手の内はあまり明かさないほうがいいよ。真似する所が現れるから」と。確かに、一種のプログラムの「あんなこと、こんなこと」を真似している塾もあるようだが、おそらくは形だけだろう。指導法などの核心は真似できるものではない。そう確信して、それでも、オリジナリティーの尊重を期待して、一端を紹介しよう。

 私立の高校推薦入試の場合、入試までの約10か月の表を作り、その第1週に10題の過去問を配する。(私立の場合、入試問題はほとんど公表されないので、受験生からの情報をもとに過去問を作成する。そっくり同じに再現できるわけではないので、これを「模擬問題」と称するー「日記抄」Dec.1「模擬問題づくり」参照)。

 過去問には文章題あり、グラフの読み取りあり、簡単な設問ありで多様である。内容や形式に応じて他校の問題の中から類題を拾い出す。最も手間暇のかかるのがこの作業である。この中から20題を選んで、プログラムの第2、第3週に配して練習(演習)問題とする(余った良問は「予備」として付加し、予想問題ともする)。
 第4週は作文とし、面接にも備えて「特技」、「自画像」、「抱負」、……等を毎月1つ書くようにする。

 公立高校の推薦入試、公立中高一貫校入試の場合もこれに準じて組んでいく。なお、同じ学校を受けるからといって、必ずしも同じプログラムになるとは限らない。書き慣れているかどうか等の個人差によって、プログラムは1人1人違ったものになる。

 こうして受験生はそれぞれのプログラムを手に3月を迎える。

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Jan.31'13 < The longest day >

@ 待つ」というのはつらいものだ。期待がある反面、心配も忍び寄る。
 今月22日に東京、神奈川の私立高校の推薦入試があった。道場からは、例年になく8名もが受験した。
 合格発表は、翌23日が成城学園と桐光学園、24日が日本女子大附属と早稲田実業だった。

 23日は、例年どおり、9時から電話の前で待った。10時半に第一報が入る。成城学園組のKさんからだ。Kさんは下記の「雪かき」にあるように、雨にも負けず雪にも負けず、遠路もいとわず通って、じゅうぶんに練習を積んでいたから、順当であった。それでも、勝利の味は格別である。会えば手を取り合って喜ぶところである。Kさんは「やっぱり直接会って話したいから行く」と言う。

 この日は、あと2人だ。ところが、同じ成城組のSさんからは午後になっても連絡がない。屈託のない性格だから、舞い上がってしまったのだろうか、「それとも、……」と、心配にもなる。冬休みの講習が終わった後、何となくのどかな感じがしたので、「試験の前日まで、今まで書いたものを読み返しているように」と、特に念入りに喝を入れておいたのだが、手ぬるかったかなとも思う。夜になって、「お陰さまで、」と、お母様からメールが入る。「待ちくたびれました」と、皮肉交じりのお祝いをする。

 桐光学園を受けたはずのCさんからはまだ連絡がない。理屈が先走りがちの答案も、間際に論文の基本のパターンが理解できていたから、試験自体はうまくいっただろうことは推測できる。まんじりともせず、といった思いのところへ、日本女子大附属を受けたWさんから「合格しました」とメールが入った。今、速達が届いたのだという。
 同校の問題では、グラフか文章の読解をもとに1,000〜1,200字の記述が要求されるが、Wさんはどんな課題も力強くこなしていた。大学入試にも通用しそうな答案を書いていたから、間違いなく上位で合格したことだろう。


A 明けて24日、早実の合格発表は「午前10時〜11時」とある。
 10時15分、弾んだ声が入った。「合格しました」。一瞬、Aさん、Kさんの、どっちかと思うほど、声に張りがある。Aさんだった。最も気がかりだっただけに、安堵の胸を撫で下ろす。というのも、Aさんは当初、いろいろなことを一度に書こうとする癖があった。そのために話がポコポコと中断される。その癖を直すのにかなりの時間を要した。最後の1週間は、「これまで書いたものは、書き直したものでもまだBランクだ。読み直して、表現をすっきりさせよう」と、10編ほどの書き直しを指示した。

 この指示はKさんにも同様であったが、2人には「試験では当日勢いのある者が勝つ」と話して送り出した。2人ともスポーツ選手であるから、これはすぐに分かったようだ。Dくんがいる席では「勝負をする時には、緊張するものだ。緊張しない奴はダメなんだよね。それは試験でも同じだ」という話もしておいた。もしかして、「緊張しないでね。リラックスして受けるようにね」など言う人がいるかもしれないと思ったからなのだが、これは3人には言うまでもないことだった。

 続いて、Kさんのお母さんから電話が入った。「受かってました」。マラソンでゴールをしたばかりのような声だった。Kさんの作文の弱点は具体性に乏しいことだった。最初の『私の夢』という課題では、せっかく全国大会に出場という実績がありながら、それに触れずにオリンピックでメダルを獲得したアイドル選手への憧れに終始する始末で、お母さんも歯がゆい思いをしたようだった。それは徐々に直っていったが、お母さんの心配の種がふくらんだのは、今年の出題の内容を聞いたときである。

 今年は、阪神大震災や東日本大震災について考えていることを述べる問題であったが、例年と違っていたのは、「天災は忘れた頃にやって来る」等、4つの言葉を使って書くことだった。この問題は、試験の終わった後、Dくんが知らせてくれていた。一見、難しい。しかし、3人とも書いたということであった。相当の集中力を出して取り組んだのだろう。周りの大人の心配は、結果として杞憂であった。いい勝負であった。

 10時半過ぎにDくんから連絡があって、すぐにご両親とこちらに向かうと言う。(早実は道場と同じ国分寺市内にあって、早実から道場までは電車で1駅、歩いて10〜15分ほどである)。Dくんは体格がよく、技術面、精神面ともに優れた有望選手である。野球談義に花が咲き、春のセンバツに早実が選ばれるかどうかがもっぱらの話題になった。
 入れ替わりに、Aさんがお母さんと現れた。別人のような表情で、ぐんと血色もよい。これまでは、作文が相当のプレッシャーになっていたと見える。名門早稲田というステップができたので、これで日本記録もさらに伸ばせるだろう。

 早実を受けた生徒がもう1人いる。地方在住のため、やり取りはもっぱらメールで行っていたが、合否の確認だけはこちらからするのは憚られる。夜になって、「不合格でした。お世話になりました」というメールが入る。ユニークな特技をもっているので期待されたが、練習期間が短すぎたとだけ記しておこう。ある程度予期していたことではあったが、気が滅入る。
 深夜になって、Cさんからメールが入る。1日遅れの朗報である。私立高校については、これで一段落となった。

 長い1日が2日に及んだ。タイトルを”……days"としなければならないが、話はここにとどまらなかった。もう1日分が要るような出来事が起きたのだ。

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B 一息ついた25日は、春の高校野球「センバツ」の出場校が決まる日であった。
 早稲田実業は秋の東京地区大会で準優勝していた。そこで、もし関東地区で有力校が他になければ、選ばれる可能性があった。その早実には、道場に縁のあるDくん、Kくんがいて、レギュラーで活躍している。

 出場校は午後の3時ごろまでに決まって、高野連から各校に電話で通知され、ラジオ、テレビでは夕方のニュースで報道される。
 そこで、吉報は6時のニュースまで待つことにして、4時半から授業を始めた。ふと外を見ると、庭に坊主頭の学生服姿が2人現れた。一瞬、目を疑ったが、DくんとKくんだ。知らせに来てくれたのだ。さっそく招じ入れて、握手を交わす。2人の活躍は人から聞き、新聞でも読んでいたので、話に花が咲くところであったが、2人は部の会合があるということで、お茶もそこそこに帰った。

 早実は昨年夏の西東京大会では、準々決勝を前に敗退した。それが秋になって、あれよあれよという間に決勝に進んだ。
 どうして急に強くなったのだろう。いろいろな話を寄せ集めてみると、それはどうやら投手陣の強化にあるようだ。その投手陣は「サースポー4人衆」と呼ばれ(中日スポーツ)、その中にKくんが入っている。

 Kくんは、元来は右翼でクリーンアップを打っているのだが、ダイナミックな投げ方が見込まれたのだろう。例えば外野のシートノックで、ホームに返球するときは鷲が翼を広げたよう格好で投げ、投げ終わった後も翼は大きく弾んでいる。あの投法ではバッターは威圧を感じるに違いない。
 投手力のチームは守備力のチームでもある。いずれも接戦を制して勝ち上がってきている。その中心にいるのはDくんであろう。レギュラーポジションはサードなのだが、時々はライトに回り、ダイビングキャッチや素早い背走によってポテンヒットや長打を防いでいる。

 かつて、「野球でおもしろいのは、するほうも見るほうも、左中間、右中間をライナーで抜く2塁打、3塁打だろうね」ということなどを談じ合ったものだが、「今はそれを意識した練習をしています」ということである。甲子園では胸のすくような当たりがが見られることだろう。精一杯応援しよう。
 教室の正面には、B4の紙に「祝 甲子園出場 早稲田実業 Dくん Kくん」と書いて掲げてある。

 3日間は中味の濃い、張りのある日々であった。
 "The longest day"という見出しは、同名の映画(邦訳名『史上最大の作戦』)からの借用であるが、中味の濃い1日1日を long と感じた次第である。


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Jan.17 '13 < 雪かき >

 3日前の「成人の日」、東京地方は時ならぬ大雪に見舞われた。「時ならぬ」というのは、気象庁も予期していなかったほどの雪の量であったというほどのことである。
 朝の9時ごろは雨だった。10時半に横浜市のKさん(中3)が受講に来る予定になっている。新横浜駅の近くから来るので、雨で予定を変更するかもしれないと思ったが、連絡はない。雨はやがて雪に変わった。Kさんは雪の中から傘をすぼめて現れた。

 予定どおりに入試対策の作文講座を始める。Kさんは、書き直し書き直ししながら作文の仕上がっていくのが楽しいそうなのだ。談笑しながら進めているところへ、ひょっこりYouくん(小4)がやってきた。本来は夕方のクラスだから、「連絡してからでないと、ダメ」と言いたいところだが、既に帽子もジャンパーも雪まみれである。急いで雪をはたき落として招じ入れる。

 正午過ぎに2人は帰った。庭の雪はもう3センチぐらいになっている。Youくんはお母さんが近所のスーパーの駐車場で待っているということで安心できたが、Kさんは駅まで15〜20分歩かなければならない。「滑るといけないから、一歩一歩ゆっくり歩いていってね」と言うのが精一杯で送り出す。(夜に届いたメールによると、電車に遅れが出て、家に帰るのに3時間半かかったということであった)。

 雪は激しくなって、5センチは超えただろうと思われる頃から、夕方のクラスのKotくん(小6)から,続いてRyoくん(小4)から振り替え希望の連絡が入る。
 暗くなり始めて、雪が小止みになったころ、前の道路から雪かきの音が聞こえてきた。かいているのは、おそらく奥の家のおじいさんであろう。この道路はトラックがやっと通れるほどの、露地と呼ぶにふさわしい小道であるが、それでも突き当りが公園になっていて通り抜けが出来るせいか、人通りが少なくない。おじいさんはその少ない通行人のために雪をかいているのだ。

 雪は夜半に止んだようだ。翌朝は春眠ならぬ、冬眠暁を覚えぬ頃から雪かきの音が聞こえてきた。おそらく奥から2番目の家のおばあさんだろう。おじいさん、おばあさんといっても、みんな元気でかくしゃくとしている。
 この露地は両側にそれぞれ9軒が建つ、その昔の新興住宅地である。因みに、道場は公園に向かって左側の、奥から3軒目にある。

 外に出てみると、道の左手はきれいになっている。雪かきの音は斜め右の家の前から聞こえているのだった。ご夫婦で交代でかいている。もうすぐ終わりそうだ。そうすると、残るは我が家の前ということになる。さっそくスコップを持ち出して、雪をすくっては左右に投げ分ける。たちまち息切れがして、休み休みの作業となる。「このごろは箸より重い物を持ったことがないので、……」と言い訳をする。

 それでも30分ぐらいで作業は終わった。終わってみて、おもしろいことに気がついた。道場の両隣と向かいの家の方々は80代から90歳に近い高齢者で、とても雪かきなどできそうにない。それでも道路がきれいになっているのは、70歳前後のYoung がいるからなのだ。
 物言わぬ互助精神を教えてくれた雪であった。



Jan.1'13 < お年賀 >



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